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上海のオールドホテルを巡る その6
  

東湖賓館
DongHu Guest House



 淮海中路の繁華街から、斜めに貫く東湖路を北西にちょっと入ったところにあるのが、この東湖賓館だ。東湖賓館はいくつかの建物で構成されている。まず1号楼と2号楼は1934年に建築された5階建ての建物。かの上海マフィアで有名な杜月笙の住宅であった。また1940年に建築されたのが3号楼、1930年に建築された4号楼・5号楼のほかに、淮海路と東湖路の角には、1925年に建築された7号楼がある。7号楼はユダヤ系イギリス人が建てた住宅で、上海人の間では「杜美花園」とも呼ばれた。戦争期間中には一時、旧日本軍が占拠していた時期もあった。

 今回は、まず杜月笙の住宅とされた1号楼・2号楼を紹介する。
 この建物を語る前に、まず杜月笙について書かなければならない。杜月笙は1888年、上海浦東の高橋出身。4歳のときに両親を亡くし、継母に育てられる。14歳になると今はなき十六鋪で果物行商として丁稚奉公に出された。そんな中で秘密結社として暗躍していた「青幇」と呼ばれるグループの棟梁、陳世昌と知り合い、彼の傘下に入る。「青幇」とは、もともと江南各地で海運を営んでいた船頭同士の集まりで、その勢力が大きくなり、一種「黒社会」と呼ばれるような地下組織としての影響力をもっていた。

 仲間から非常に慕われた杜月笙は陳世昌などの関係から、フランス租界などに入り込むことに成功、アヘンの運送に携わるようになる。アヘン運送の傍ら、杜月笙はアヘンを自身で闇取引するようになる。おりしもアヘン取締りによってアヘンが急騰し、杜月笙は上海三大マフィアのボスとして、勢力を振るうようになった。1925年7月には三鑫公司を設立し、各上海マフィアとの関係を改善しつつもの、政界・軍閥などの要人などとも手を組みながら規模を大きくしていく。マフィアといわれつつも、杜月笙は一味違っていて、服装も一目見ると文化人と見間違うほどであったという。

  

 ところで、この杜月笙住宅の建物は、宝くじ「航空奨券」の設立時に杜月笙が金廷○(クサカンムリに孫)へウラ情報を流してあげ、金廷○がその配慮に感謝して、杜月笙へプレゼントしたものである。「航空奨券」とは、その当時国民党政府が航空路線を拡充するための資金作りに設立された宝くじで、杜月笙は政界財界の関係者とも親しく、金廷○の会社にこの業務を請け負わせた。その結果、金廷○は「航空奨券」で莫大な富を築くことになる。

 このプレゼントされた杜月笙旧居の総建築費用はその当時で30万米ドルとされている。1934年に建築されたこの建物は、もともとは3階建てだったが、解放後になって4階建てに改造されている。しかし現在でもほぼ当時の面影を残している。 

 この当時、経済的理由などもあり、上海全体の建築物の多くは、以前のような装飾はかなりなくなり、エントランスや窓の部分に彫刻などが見られるほかはシンプルなものとなっている。全体的には西洋と西洋の趣をドッキングさせたもので、屋根をみるとその中国的趣を感じることができる。また左右対称な建築様式も、中国の伝統的な建築様式を色濃く反映させている。しかし、フランス董局の董事でもあった杜月笙は、室内の装飾にフランス式家具を多用したという。杜月笙の当時の記録によれば、各部屋をどのように使うかまで決められていたという。中心部分と両側の袖の部分から構成され、まず、1階エントランスから入るホールは50テーブルの宴席が設置できるほどのスペースがあり、客間として使用されるはずだった。西側の袖部分の2階には第2婦人が、さらにその上の3階には第1婦人が住み、敷地内の西側の離れには第3婦人、東側の離れには第4夫人が住む予定だったという。ちなみに第1婦人から第3婦人までは蘇州人、第4夫人は北京人であった。この旧居の平面図を見る限り、寝室がじつにたくさん準備されているが、これは杜月笙の数多くの兄弟や、秘書、運転手やお手伝いさんの部屋として準備されていた。

 しかし、1937年の盧溝橋事件を契機に上海では反日運動が高まり、上海で政変が勃発する。いわゆる第一次上海事変だ。旧日本軍の攻撃により上海は陥落し、杜月笙は新居への引越しを間近にして香港へ避難する。そのため杜月笙は一度もこのプレゼントされた新居に住んでいない幻の邸宅となった。杜月笙はこの邸宅をアメリカ新聞処に60万米ドルで売り渡したあと、一時は茂名路の華懋公寓に住んだこともあった。その後、この建物はアメリカ領事館として使われたこともあった。1941年太平洋戦争が勃発すると、杜月笙は一時重慶に逃れる。そこで恒社総社を設立し、勢力を伸ばしていった。ここで、「青幇」は恒社と名前を変えた。ところが、国民党政府の民間結社団体への取締りが徐々に強化されてくる。さらに、1948年になると杜月笙の子供である杜維屏が上海で逮捕されて、もはや上海で自分が発展していける余地はなくなったとして、1949年香港に逃れ、その後1951年に香港で死去している。

(文・写真 山之内 淳中医ドットコム


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東湖賓館

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