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「和平」の鐘
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有名な建築物だけにさまざまな重要な会議やイベントが、この場所で行われている。鴉片があふれていた上海で、1909年2月1日~2月26日にかけて、世界で始めての麻薬撲滅の世界大会「万国禁煙会」が開催されたのもこのホテルだ。最近では、「万国禁煙会」が開催されたことを記念して、1996年11月25日に33カ国の代表が集まって反ドーピング国際会議が上海で開催され、ここに記念碑が掲げられている。
1914年に火災が発生して6階が焼けたものの、その後修復された。1930年代には中国人にも開放されていて、魯迅など著名人も多く訪れている。
(左)南京東路からみた南館(もと匯中飯店)(右)浦東の現代的なテレビ塔とは対照的
匯中飯店には120室のトイレ・バスつきの豪華客室があり、客室専用の電話、温水の供給サービス、300人収容可能のホールなど、その当時としては一流の設備が備えられていた。さらに、上海だけでなく全中国でもっとも早くにエレベーターが設置されたこと建築物として有名である。5階レストランでは、その当時もバイキング形式の料理が提供されたそうだ。
(左)眼下にひろがる南館 100年の歴史をもつもと匯中飯店です
(右)和平ホール。今でも結婚式などで使われます
そして、和平飯店のシンボルとしてバンドの景色に欠かすことができないのが、北館にあたるSasson大厦である。緑色のとんがり帽子が目印だ。実は、このビル建築に投資をしたユダヤ系イギリス人の大富豪、Sassonについては、このシリーズの錦江ホテルで紹介している。上海で、現代にまで影響力を残す著名な高層建築物を数々と建てていった大富豪として非常に有名だ。ちなみに、1940年代に上海で10階建て以上のビルは28棟あったが、そのうち6棟までがSassonらのグループが建てている。中山東路と南京東路の角を頂点に、上から見るとA字型の形をしているこのSasson大厦は、アメリカのシカゴ学派の流れをくむ建築様式で、外壁は花崗岩を使って装飾されている。ゴツゴツとした風格が頼もしい。
1926年に建築が始まり、あしがけ3年の時間を経て1928年に完成している。最高部分は13階建てで、その上には緑色のピラミッド型の屋根がそびえている。この最上階部分は、「金融サロン」と呼ばれていて、その当時の上海の名士たちが集まるサロンとなっていた。この最上階から見る、外灘や浦東の景色は最高で、よくもこれほどすばらしい場所にホテルを建てられたものだと、思わずSassonの実力と財力には感服してしまう。
(左)金融サロンと呼ばれた最上階の部屋 (右)最上階からの外灘の風景
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Sasson Room
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さらに、Sassonは10階の一部を自らの居室とし、いまでもSasson Room としてその名を残している。イギリス様式の内装で、隅々までに細々な彫刻が施してある。そして、なによりもすばらしいのが居室からの外灘の眺めだ。黄浦江を行きかう船や、対岸の浦東にある金融区のビル街の景色を独り占めできる。はるか彼方、100年前の上海に、この部屋でSassonは何を考えたのだろうか?
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ヨーロッパ式のスイートルーム
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その当時「極東一のビル」と称されたSasson大厦には1929年に華懋飯店と呼ばれるホテルが入っていた。ホテルはビルの5階から上の部分で、客室はA字型の内側の部分と外側の部分に分かれている。全室3つの等級に分けられていた。
ここで特に有名なのが中国・イギリス・フランス・アメリカ・ドイツ・スペイン・イタリア・インド・日本の9つのタイプに分かれたスイートルームだ。スイートルームはいずれも景色のよい外側の東端に面していて、黄浦江の風景を欲しいがままにできる。その当時、さまざまな国の様式を取り入れることにより、世界各国からの外国人にまるで自分の国にいるような感覚を与えたのだという。1930年代、国際都市として発展した上海の規模の大きさを伺い知ることができる。
(左)インド式スイートルーム (中)インド式スイートルームのダイニング (右)インド式スイートルームからみたテレビ塔
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なんとも広いバスルーム
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景色もさることながら、贅沢に間取りされたバスルームもすばらしい。内装にも重みがあり、昨今の高級ホテルとは違った印象を与えてくれる。
贅沢を尽くしたSasson、実は第1次世界大戦で足を負傷し、松葉杖に頼る生活をしている。彼は、自分の障害に対して非常に敏感で、そのために一生結婚しなかったともいわれている。しかし、趣味は非常に豊かで、水泳からゴルフ、テニスまでなんでもこなしたほか、カメラに関しても一級の腕前だった。
歴史あるホテルだけに、ここはさまざまな国際舞台にも登場している。1947年6月には大戦後処理の協議を行う国連の第1回アジア極東経済委員会が行われ、世界10カ国の代表者が華懋飯店に集まっている。そして、その60回目の会合を記念して、2004年にはここ和平飯店で再び国連アジア太平洋経済社会理事会が開催された。
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和平飯店グッズがいろいろあります お土産にどうぞ
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1949年に上海が解放され、一世を風靡した外国人たちは上海を次々と後にする。Sassonも上海の事業を撤退させ、ホテル経営もどんどん悪化し、上海市人民政府が後を引き継ぐ。しばらくは、中国共産党の華東局財政委員会として使われるものの、1956年3月8日より「和平飯店」と改名されてホテル業務が再開される。奇しくもちょうど今から50年前の出来事である。
上海外灘のシンボルのひとつであるSasson大厦と匯中飯店は、今でも黄浦江にその雄姿を映し出している。
(写真・文 山之内 淳 中医ドットコム)
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和平飯店のゆかりのものが展示されているミニ展示室
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【耳寄り情報】
2005年3月現在、和平飯店では100周年を記念して見学イベントが開催されています。コースは50元と100元の2種類あり、ミニ展示場も見学できます。100元コースは、さまざまなスイートルームも見学できてお勧め。日本語・英語のガイドつき。詳しくはフロントまで。
(左)左側が昔のルームキー 右は灰皿 (右)昔、上海蟹を食べるときに使った道具
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