気象台路橋から少し北へ行ったところに「天津医科大学口腔医院」があります。ただの大学病院の歯科なのですが、わたしにはここを素通りできないエピソードがあります。ちょっと古い話ですが。
あれはちょうど2年前の冬でした。食べだしたら止まらないピスタチオをポリポリと食べていたら、不意に左下奥歯の銀の被せ物がポロッと外れてしまいました。当然外れたところにはポッカリと大きな穴が空きました。すでに神経を抜いてあるので痛みが全くないのが幸いでしたが、何か食べるたびに穴に食べ物が詰まって具合が悪いわけです。かといって、歯の治療のためだけに緊急帰国するほどでもない。今でこそ天津にも日本人歯科医師による診療が受けられるクリニックがありますが、当時は北京まで行かなければならず、それもちょっと面倒くさい。知人に尋ねたところ、「天津医科大学口腔医院」なら衛生状態も医師の対応もよく、なおかつ治療費も安いとのこと。そこでわたしは意を決して「天津医科大学口腔医院」で応急処置をしてもらうことにしたのです。
まず入口を入ってすぐの窓口で受付と問診を済ませます。問診の結果、「○階の○室へ行くように」と指示されます。問診料(当時3元)を払ってから、指示された部屋へ行き、カルテを作成します。なお、ここでもカルテ代(当時1元)を支払います。このように何かにつけて費用を請求されるので歯科へ行く時は小銭は必携です。カルテを作ってから、診察室の前で治療の順番を待ちます。基本的には割り込みは許されず、順番通り治療してくれるようです。が、わたしが待っている間、虫歯が痛くてグズっている子どもを連れた母親が「これだけ子どもが痛がっているんだから早く診てもらえないか」ともの凄い剣幕で衛生士に詰め寄ってきて、無理矢理割り込んでいました。子どもの前では母は強しとは言いますが、自分勝手な母親が増えているのはどこの国もいっしょだなあと少々不愉快な気持ちになりつつわたしは大人しく自分の名前が呼ばれるのを待ち続けました。
1時間ほどして自分の番が来ました。わたしはいささか緊張しながら診察室に入り、衛生士の方にすすめられるまま、3台並んでいる診察台のうち真中の台の上に横になりました。診察台は見たところ日本の歯医者さんと同じようなもので、診察台の左側にはうがい用の台、右側には治療器具を置く台が設置してありました。かつて学生時代、歯科助手のアルバイトをしていた頃にそこの先生から「中国の歯科診療技術は日本より30年遅れている」と聞かされていたので一体どんな治療をされるんだろうと不安だったのですが、立派な診察台を一目見て不安が幾分やわらぎました。さすが大学病院、これなら安心して治療が受けられるかも…。
しばらくして、若くて優しそうな女の先生が現れました。わたしが念のためにと外れた銀の詰め物を見せると先生は「そんな高度なことはできないわよオホホ」と一笑。じゃあどんな治療をするのさ、とわたしの不安指数はぐんぐん上昇。しかし、先生は容赦なく奥歯の穴の空いた部分をギュイーンと削り始めました。それから何か軟らかいアマルガムのような灰色の詰め物を詰めてくれました。これで今回の治療は終了のようです。「さてうがいを」と起き上がって、わたしは愕然としました。うがい台にコップがないのです。しかも蛇口から水が出る気配すらありません。そして本来水が流れていくはずのタンクの部分には、前の患者のものであろう詰め物のかけらや血の混じっただ液が生々しくこびりついています。「どうしよう…」凍り付いているわたしの耳元で、先生は優しく囁きました。「吐きなさい」ええいままよとわたしはつばを吐き出しました。
「次はいつ来たらいいですか」てっきりこれは仮止めだと思っていたわたしが尋ねると、「もう来なくていいわよ、もし詰め物が外れたらカルテを持ってまた来なさい」と先生。わたしは渡されたカルテを手に「こんなんでいいのかあ?」となんとなく納得のいかないまま診療室を後にしました。ちなみにその時の治療代は50元。全額負担でこの金額ですから、日本に比べて格段に安いと言えます。
かくして天津歯科診療初体験を乗り越えちょっぴり大人になったわたし。その半年後に一時帰国してかかりつけの歯科医院で再治療を受けるまで、意外にも仮止めのような詰め物はしっかりと穴にフィットし、お役目を全うしてくれたのでした。日本の主治医はその詰め物の状態を見て「あらら…」と言っていましたが、治療の早さ、簡単さ、費用の安さを総合的に考えたら、天津医科大学での仮治療も決して悪くはないなあ、そんなふうに思いました。