ある人が盆地の京都の夏の暑さを「蓋をしたら餃子が蒸せる」と形容し、言いえて妙と膝をたたきました。天津の夏の暑さもまた、周りに山がないので蓋こそできませんが、餃子も包子(パオヅ)も蒸しあがってしまいそうなうほど強烈です。おまけに風もめったに吹かず、木の葉一枚揺れない無風状態が続きます。汗をタオルでしっかり拭いてもまだ皮膚がジットリ湿っています。秋・冬・春と乾燥しているからこそ気にならなかった道端の生ゴミ(例:小白楼の某ホテル傍)や、淀みきったドブ川(例:衛津河)が、夏の蒸し暑さのせいですえた匂いを発して存在感を現します。タクシーの中も、シートに長年染み付いた乗客の汗と埃が、湿気のせいでえもいわれぬ悪臭を放ちます。もちろん毎日お風呂に入る習慣のない地元の人々からもキツイ体臭が漂ってきます。ああ、くっさー。
私は天津の町は決して嫌いではありません(いやむしろこの町が好きだからこそ4年も住み続けているのです)が、町全体が生ゴミ処理施設と化すこの時期だけは天津を離れてどこか逃避行したくなります。ああ、南の島に行きたい。青い空と白い砂浜の見えるコテージのソファーに横たわり、細身のマッチョで過去に暗い傷を負ってちょっと影のある感じの竹野内豊似のイケメンビーチボーイに大きな葉っぱのうちわで王妃のように扇いでもらいながら冷たいココナッツジュースを飲みたい・・・と「脳内逃避行」(つまり妄想)をしていると、なんとなんと、我が家の前の白堤路沿いに突如大きな椰子の木が生えてきたではありませんか!(上写真)
いやあ、念ずれば通ず、なんですねえ。もうちょっと真剣に念ずれば、竹野内豊似のビーチボーイが大きな葉っぱのうちわを持って現れるかも?!と頬を桃色に染めていると、後ろからトンパ大王にスリッパで叩かれ、現実に連れ戻されました。目をかっと見開いてもう一度白堤路の椰子の木を仔細に観察してみると、樹の裏側に継ぎ目のようなものがありました。私はミッキーマウスの背中にジッパーを見つけたようなショックを受けました(ディズニーに怒られるかな)。椰子の木はニセモノでした。上部に目をやると細い電柱が見えました。このニセ椰子の木は、歩道のど真ん中に建てられた電柱を覆い隠すためのものだったのです。
それにしてもなぜ、わざわざ電柱を覆い隠す必要があったのでしょうか? そしてなぜ、それが椰子の木なのでしょうか? 謎は深まるばかりです。
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