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Root No.27
建設路
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春節(旧正月)が早く訪れる年は暖冬だそうです。2006年の春節は1月29日で例年より若干早め、天津もご多分にもれず暖冬です。毎年死を予感するほどの寒さを経験している私にとって、今年の生温(ぬる)い天津の冬はなんだか物足りない感じです。今年の冬は大したことないなあ、と鼻でせせら笑っていた某日、突然大寒波が天津を襲いました。その日の気温は最低−9度、最高−1度。わざわざこんな日を選んでそぞろ歩かんでもええのに、何を血迷ったのでしょう、気が付くと私は、カメラを持って家を飛び出していました。今回は「建設路」です。
「建設路」は天津市中心部の北東側に位置している小さい通りです。東西にカーブを描きながら、東は「小白楼」と呼ばれるエリアから、西は「営口道」との交差点まで続きます。営口道との交差点より西は「和平路」です。今回、「小白楼」から「営口道」に向かって、西へ西へと歩いてみました。
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小白楼
「小白楼」は天津のある地域の名前です。天津そぞろある記の熱心な読者の皆さんならもうご存じのことと思いますが(!)、天津には昔外国租界がありました。1860年に天津港が開港するのと同時にイギリス租界が置かれ、翌1861年にアメリカとフランスが相次いで租界を置きました。アメリカ租界は1902年にイギリス租界に併合されましたが、当時のアメリカ租界一帯を、現在、「小白楼」と呼んでいるのです。具体的な位置は、現在の彰徳道から南側、開封道から北側の一帯です。租界時代この地域には正式な呼び名がなく、当時の人々はこの地域を指す時にここにあった白塗りの独特な外観を持つ2階建てのバーを目印にして「小白楼」と呼んでいました。やがてそれが地名として定着していった、というのが名前の由来だそうです。
現在「小白楼」の付近には、日本人駐在員がたくさん住む凱旋門大厦をはじめ、天津濱江ルネッサンスホテルなどの高層ビルや濱江購物中心(ショッピングセンター)などのショッピング施設、また天津国際経済貿易中心などのビジネス施設が集中していて、南京路の伊勢丹周辺に次ぐ繁華街となっています。そしてその近代的な建物の影に租界時代の名残を留める建物もあります。「起士林」です。「起士林」とは、もともとはドイツの宮廷料理人の名前William Kiesslingの中国語表記です。史料(http://tianjin.enorth.com.cn/system/2004/10/21/000886770.shtml)によれば、18世紀初頭、天津に渡ったKiessling氏が、お菓子を作って売り出したところ西洋人たちに大変好評で、そこで、土地を買ってレストランを建てたのが始まりだそうです。その後1940年に現在地の建設路付近に移転して、4階建ての大きなレストランになったそうです。
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青空にそびえる天津濱江ルネッサンス(左)
その隣には背の低い濱江購物中心(中)と凱旋門大厦(右)
建設路付近にどっしり構える「起士林」
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天津メトロ
2002年11月から3年がかりで工事を進めてきた「天津地鉄一号線」、いわゆる天津メトロ1号線が2005年12月28日に竣工、2006年2月には全線試運転可能な条件が揃うと、天津市の有名紙「今晩報」が報じました。天津の地下鉄は、バックナンバー(Root No.04南京路)でも紹介していますが、実は四半世紀近くも前の1982年に中国では北京市に次いで2番目に早い地下鉄として開通していました。路線は「天津西站」から南京路上の「新華路」までの7.4Km。ところが、時期尚早だったのか、はたまたよほど構造やサービスがひど過ぎたのか、ほとんど利用客がなくて事実上閉鎖になっていました。このたび開通する天津メトロ1号線は、このもともとあった地下鉄を大幅に延長したもので、全長は約28.2Km。駅は全部で22箇所あり、北から「劉園」「西横堤」「果酒厂」「本溪路」「勤倹道」「洪湖里」「西站」「西北角」「西南角」「二緯路」「海光寺」「鞍山道」「営口道」「小白楼」「下瓦房」「南楼」「土城」「陳塘庄」「復興門」「華山里」「財経学院」、そして終点「双林」となっています。このうち「海光寺」から「小白楼」までが南京路の下にあります(http://economy.enorth.com.cn/system/2005/12/28/001198930.shtml)。南京路は、昔から通退勤ラッシュ時の渋滞が深刻な問題となっていますが、地下鉄の開通によって緩和されることは間違いないでしょう。
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完成間近の、天津メトロ1号線「小白楼」駅
斬新なスケルトン仕様で地下の設備にも期待が持てる
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レトロ天津
さて、「小白楼」を背に建設路を西へ歩くことにします。
前述したように、かつて租界が置かれていた天津には、今もなお、当時建てられた洋風建造物が残されています。租界時代の建造物と言えば「小白楼」の南側の馬場道付近が有名で、「五大道風情街」と称して、天津市を挙げて租界の街並み保存と観光地としての強化が進められています。ですから、単純な私はてっきり租界時代の建物はこの「五大道風情街」にしか残されていないと思い込んでいました。ところが意外や意外、この建設路沿いにも租界時代に建てられたものと思われる古い洋館が多数現存しているのです。建設路沿いの洋館は「五大道風情街」と違って特別な保護を受けていないため、木製の窓枠は朽ち、鉄柵はさび付き、瀟洒な佇まいというよりも、まるで幽霊屋敷のようです。でも、そんな手付かずのままの汚い洋館のほうが、きれいに整備された五大道の洋館よりも私の心を打つのはなぜでしょうか。冷たい風に吹かれながらぼうっと建物を眺めていると、手に掃除道具を持ったおばあさんが門の中に入っていきました。この洋館の住人のようです。この日はとりわけ風が強かったので、おばあさんは家の前にたまった落ち葉やゴミなどを掃きとっていたのでしょう。そこには、古い洋館と、それに極めて自然に溶け込んでいる天津人の暮らしがありました。北京の胡同とはまた違った風情が、天津の旧租界地にはあるような気がします。そして北京の胡同と同様に、この人の心を和ませる風景も早晩都市開発の波に呑まれて消えていくのでしょう。
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掃除を終えて洋館に帰るおばあさん
次々に取り壊される建設路沿いの古い建物
手前に「美化城市 造福人民」の赤い幕が見える
トンパ風邪でダウン
もしかして鳥・・・
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Illust & Text by
KEYOU...
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