KONOK v.s. 木之内先生

特別対談(第二回目)!
 KONOK v.s. 木之内先生 (「上海歴史ガイドマップ」編著)

Ko:konok(コノック)木:木之内先生

Ko:旧日本租界であった虹口区などもだいぶ昔とは様子が変わってきていますよね。

木:そうですね。五角場辺りなどの復旦大学周辺も留学当時とはずいぶん変わりました。しかし建物は変わっても昔を懐かしむ人の心はあまり変わらないのかもしれません。今でも日本にはそんな租界時代の上海で青春時代を過ごされた方の集まりがたくさんあるんです。実は先日、私も参加させていただいたのですが、「琥珀会」という会があるんです。例会にはいつも5、60人ほども会員が集まるといいますからかなり大きな会です。まずこの会の名前の由来を聞いて驚いたのですが、「琥珀会」のこの琥珀とは、太古の記憶を樹脂に封じこめた宝石琥珀の過ぎた日々をしのぶセピアなイメージを、黄浦江の水の色とかけて「琥珀会」と言うんだそうです。

Ko:黄浦江が"琥珀色"!?

木:そうです。(笑)今では信じられませんが、昔は本当に琥珀色だったかもしれません。(笑)でも実にウイットに富んだ名前だとおもいませんか。その「琥珀会」で今年の2月「上海歴史ガイドマップ」の苦労話やら本の由来を講演したんです。多くの方にお集まりいただいて、私のつたない話を聞いていただいたのですが、なかにはこのマップのページをコピーしてつなぎ合わせて一枚の大きな地図として活用している方や、本の背が擦り切れるほど読んでいてくださる方もいました。その時ばかりは本当に著者冥利につきました。

 ←和平飯店近辺地図

Ko:ご苦労されて製作された甲斐がありますね。苦労といえばこの本を製作される上で編著として特にご苦労されたことなどありますか?

木:ええ、本書のあとがきにも少し書いたのですが、最大の苦労というかピンチは、たまたま手にした「花子」というコンピューター・グラフィック・ソフトで上海の地図を作り始めたのですが、当初はまさか本になるとは思わなかったものですから「花子」の使い勝手を試すくらいの気持ちでいたんです。それが徐々に「この道も建物も…」というように増えていって・・・。

Ko:気づいたら、素晴らしい地図が出来上がっていた?

木:いえ、そう簡単にはいきませんでした。地図の地名、路名など表示の漢字をどうするかなど技術的な問題はたくさんありました。しかしそれよりも実際一冊の本にしようとしたとき「花子」では出版物の印刷データにならないんです。このときは困りました。業界標準の「illustrator」というソフトを使って一から描き直すしかないかと、一時は覚悟したこともありました。でも、そんなことをしていたら出版がいつになるか分からない。
 しかしあるとき「花子」と「illustrator」のデータファイルが、また別のソフトのファイル形式を仲立ちにすれば、なんとか互換性がもてることを発見しました。これで出版にこぎつけることができたのです。このときは胸の中のもやもやが一気に吹き飛びましたね。

 ←地図記号

Ko:コンピュータデータの互換性が、最大のピンチだったわけですね。

木:そうですね。もちろん相当の修正は必要でしたが、それよりも自分がこれまでに描いた建造物が地図の上にきちんと載るのがなによりでした。建物を立体的に表現することでリアリティがわいてきますからね。

Ko:では特にこだわりを持って描かれている建物もあるのでしょうね。

木:ええ、最も苦労したのは「上海大廈」でしょうか。本を見ていただくと分かるのですが、上下左右のバランスを取るのが難しいのです。確かこの作業だけで半日、いや一日かかったかもしれません。なにせ上海を代表するアールデコ建造物ですから、いいかげんにには描けないし、このときばかりは設計主のセンスに感心すると共にこのビル全体のバランスの良さに驚きました(笑)。その他にも徐家匯の「華亭賓館」などのビルのカーブやテラスの作成には苦労しました。

Ko:確か「華亭賓館」は、優秀近代建築物として賞を受賞しているはずですよ。

木:そうですね。とにかく上海は昔も今もモダンなビルが多い。地図屋泣かせですよ。(笑)

Ko:そうかもしれません。今度はぜひ、浦東開発区に挑戦して欲しいですね。「金茂大廈」や「東方明珠」とか・・・(笑)。

木:いやー、あれを立体的に描くには何日かかるか分かりませんよ(笑)。

Ko:このように技術的な問題も多くあったとは思いますが、実際この本の元になる地図はどうされたのでしょうか?資料などの収集や閲覧が自由にできない分苦労されたのでは?

木:決定的に役にたったのは二つです。一つは租界時代の地図で『上海市行号路図録(上下)』(福利営業公司1947,1949再版)という200枚からなる地図です。商店の名前なども一軒ずつ網羅され、この地図を入手することができてはじめてこの本が出版できたといって過言ではありません。

Ko:古い地図のようですがどちらで入手されたのですか?

木:もちろんコピーですが大変でした。上海図書館にはもちろんその地図は置いてあるのですが、本が壊れてしまうということでコピーをさせてもらえませんでした。そこで上海学術書店という中国書の輸入などを手がけている会社を通じ、かつての中華書局の蔵書を引き継いでいる上海辞書出版社からこの地図を3000元で借りだして、一枚5元でコピーして送ってもらいました。 またもう一つの地図、すなわち現代の地図については『上海商用地図冊(地図巻1,2)』(上海翻訳出版公司1989年)という全枚数500枚からなる地図を入手することにより、この本を完成できたと言っていいと思います。 情報地図としてのコンセプトの点からいえば、たまたまパソコン雑誌で紹介されていた「文京文学館」というマッキントッシュでつくられたハイパーマップに刺激をうけました。

Ko:そして今回の中国は「上海歴史ガイドマップ」の改訂改定作業も兼ねていると聞いていますが?

木:そうです。外灘から浦東へ行く渡し舟の到着地点もすでに変わっていますし、上海の街は変化が激しいです。こんどの改訂は、新しい交通機関や建築物を追加したり現状にあわせたりするのが主になると思います。その他には今度この本の中国語版が出されることになりそうなのでその打ち合わせ兼ねています。

Ko:上海の地図の改訂作業ですか。変化の早い上海ですから上海に生活しているだけでもこの作業だけに追われそうですね。そして30年40年後には我々が現在の上海と3,40年後の歴史マップを作らなければならないかもしれません。

木:そうですね(笑)。その時は「新・上海歴史ガイドマップ」ということで、konokさんぜひお願いしますよ。

Ko:そうですね(笑)。私もぜひこんな素晴らしい本を作ってみたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

木:いえ、こちらこそありがとうございました。

『上海歴史ガイドマップ』販売店(日本)
首都圏の主な書店及び神田の三省堂や内山書店、東方書店等。

木之内 誠(きのうち まこと)
東京都立大学人文学部助教授。中国文学専攻。『上海歴史ガイドマップ』編著。また翻訳に『魯迅全集 日記』(共訳 学習研究社)がある。最近は中国の「対聯」について研究や上海歴史ガイドマップの改訂作業と公私ともに多忙を極める。

Konok(コノック):
中国歴10年、上海歴6年。上海の下町ウォッチャー。SHEX、上海ウォーカーなどに上海雑知を連載、最近はテーマである「上海のあやしい○○…」が街からめっきり少なくなり、街探索もさぼり気味。


エクスプロア上海TOP] [上海・上海近郊の観光] [エクスプロア中国トラベル ホテル&航空券]


Copyright(C) since 1998 Shanghai Explorer