この夏、上海辞書出版社から、高綱博文(日本大学教授)・陳祖恩(上海社会科学院副研究員)共同主編で『上海日本人居留民』という写真集が出版されました。大変興味深い1冊で、作品を手がけた陳先生からこの写真集への思いをいただきましたので、ご紹介します。
『上海日本人居留民』には、"写真で歴史を示す(以図示史)"方法により、二百枚以上の貴重な歴史写真とその解説がのせてあります。それらの写真は、1860年代日本開国前後から1945年第2次世界大戦敗戦にいたるまでの上海日本人居留民の生活状況・社会活動を、政治・社会・文化・経済の四方面から物語っています。
↑神社:六三花園内に設けられたシ戸(hu)上神社 (江湾路・中山北路交点)
1862年江戸幕府の"千歳丸"が上海へ就航し日中間に近代的通商の道を開いたその折に上海を視察した高杉晋作ら日本の武士たちは、西洋文明の強大さと中国の立ち遅れという二重の印象・感想をもって帰途につきました。そしてその彼らが上海で受けた思想的ショックは明治維新を引き起こす重要な原因となっていきました。最初に上海に来た日本人居留民たちの大方は"海外でひと旗あげてやろう"と単身で家を飛び出てきた人々で、欧米列強統治下の租界に寄宿していました。日清戦争後、治外法権を獲得した日本人居留民たちは上海租界の参加者となり、上海で安定した生活を営めるようになりました。第一次世界大戦の発生は、上海日本人居留民社会が飛躍的に発展する契機となりました。戦争という時機を捉え、紡織業を中心とした日本資本が上海に入りだし、日本の大小さまざまな商社・銀行の支店が次々と開設され、上海はものすごいスピードで日中貿易の拠点となっていきました。それと呼応して日本人居留民の数も増えつづけ、上海にいる外国人居留民数の中で首位を占めることになっていきました。1941年太平洋戦争以降、日本人居留民は10万人を超えました。
上海日本 人居留民の大多数はいわゆる"日本租界"とよばれる虹口地区で生活していました。そこには日本総領事館、居留民団、日本人クラブ、学校、商店、住宅、病院、公園、娯楽施設、宗教施設などがあり、日本人居留民の生活の基本的なところは国内と変わりありませんでした。また彼らは上海でも日本語を使用し、日本式に改築された住宅に住み、食べるものも日本料理で、正月には羽織・袴で神社に参詣し、春になれば六三花園で夜桜を鑑賞し、夏には歌あるいは文字をしたためた色とりどりの短冊で笹竹を飾り七夕を祝い、8月のお盆には、長崎のものと同じ精霊船を浮かべていました。
旅館:虹口地区は“日本人街”の景観をかもし出していた。
写真は万歳館(西華徳路 現在の長治路)
写真集『上海日本人居留民』は当時(1870―1945)の日本人居留民の生活の一面に真に迫る形で再現していますから、この間の歴史を読み取ることができると同時に、この上海という都市に対するわたしたちの理解もさらに深いものとなるでしょう。(陳)
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