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Root No.16
成都道
 
・成都道
・拆
・抗震紀念碑

 
見上げれば雲ひとつない澄み切った青い空。足元を見れば誰かが食べ散らかした甘栗の殻…。秋たけなわのこの季節、成都道をそぞろ歩いてみました。

 
五大道

 

成都道は和平区の南東に位置し、北東から南西へななめに延びている通りで、それとほぼ平行に走る馬場道(「天津そぞろある記」Root No.7を参照のこと)、睦南道、大理道、常徳道、重慶道とならんで「五大道」と称されています。あれ全部で6本なのに「五大道」!?まぁいいじゃないですか、悠久の歴史と広大な土地を有する中国はそんな細かいことにはこだわらないのです。(補足:いろいろなサイトで調べたところ、成都道を除く馬場道、睦南道、大理道、常徳道、重慶道の5本を五大道とするA説、常徳道を除く、馬場道、睦南道、大理道、重慶道、成都道の5本を五大道とするB説、そして、成都道も常徳道も全部入れて計6本を五大道とするC説がありました。A説が一般的なような気がしましたが、私は敢えて“大陸的”なC説を採択させていただきました)

これら6本の道が「五大道」と称されるゆえんは、かつて帝国時代この辺り一体に列強諸国の租界が置かれ、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ等各国それぞれの特徴を持った洋風建築が200〜300棟(あるサイトでは230棟、あるサイトでは300棟と諸説あり。この大ざっぱさも“大陸的”ということで勘弁してください!)、張自忠など中国近代史に名を残す著名人の旧居が50棟余り集中して建っており、異国情緒な景観を残していることによります。なお昨今は天津市政府の政策により、この五大道周辺を「五大道風情区」として景観保護と観光斡旋が進められているそうです。

「とんぱ ポルトガルへ」

 

 

 

「折」ではありません、「拆」です。「拆」と書いて「chai(チャイ)」と読みますがインドのミルクティーではなくて「解体する」「取り壊す」という意味の中国語です。この「拆」という漢字は今や天津の至るところで見ることができます。

平等社会を理想とする共産主義のこの国では、当然のことながら土地の権利は全て国家に属します。企業のビルもマンションもスーパーも、それぞれ社長、大家、オーナーという人が存在しますが、この人たちに建物自体の所有権はあっても土地の所有権はありません。卑近な例を挙げると、私は現在アパートの一室を賃貸契約して住んでいますが、私の大家とてただこの一室を所有して私から家賃を搾り取っているに過ぎず、土地の所有権までは持っていません。国が「ココに遊園地、造るアルヨ」と決定すれば、大家は有無を言わず速やかにこのアパートを国に明け渡さなければならないのです。住民である私の意見なんか当然意に介してもらえるわけがありません。たとえこれが健康な20代の女性ではなく寝たきりのおじいちゃんであっても、です。無情です。

とは言え、国とて予告なしに突然土地を取り上げるなどという無慈悲なことはしません。ではどんな予告をするのかというと、それがこの「拆(チャイ)」マーク。土地を取り上げる一定期間前に、建物の壁にペンキで「拆」の字が書かれます。これが立ち退きの合図で、住民はこの字を一目見たその日から急いで家財道具を整理し、新しい住居を探さなければなりません。事実、私の大家のお母さんの家が先日「拆」に遭いました。大家はお母さんを私たちが借りているアパートに住ませたいと、私に立ち退きを要求してきました。というわけで私、現在せっせと引越しの荷造りをしています…涙。これっていわゆる「拆」の二次災害。「拆」は我々外国人にとっても遠い話ではないのです。

なお、「拆」にもいろいろあります。ただ「拆」とあれば、全部取り壊すから完全に引越しなさい、ということです。中には「拆1M→」というのもあります。これの意味するところは、ここから1メートルだけが必要だから取り壊すけど、建物を半壊させて住み直すもよし、全部建て直すもよし、建物のことは関与しないからあとは住民のほうで勝手にどーぞ。住民にとっては甚だ迷惑な話です。

この世にも恐ろしい「拆」マーク、実は3週間前までは成都道の至るところに書いてありました。繁盛していそうな小奇麗な茶館や新しいブティックの壁、赤土の煉瓦が美しいアパートの塀…そこここに「拆」マークが書かれているのを見るにつけ、同情心が胸の底からぐぐっと湧き上がってきたものでした。今回の「そぞろある記」ではその有様を皆さんにとくとご覧いただこうと思って立ち上がったのですが、このたった3週間の間に、「拆」と書かれていたほとんどの建物が姿を消してしまいました。代わりに、青いトタンの壁ができ、その陰で新しい建物の建設が着々と進行していました。

このように、天津では、「五大道風情区」などと歴史文物の保護が進められている一方で、古い建物はどんどん解体され、ピカピカの新しい建物に建て替えられています。古い建物をそのまま残しておくのは震災などの危機管理上よくないことかもしれません。でも、次々と新しくなっていく建物を眺めるにつけ「そんなに簡単に壊していいの?」と感じないではいられません。


矢印から左は、拆

 

商売が繁盛していようがいまいが、拆


解体工事を見物する人々


無惨に残された半壊の壁


完成したての壁に容赦のない落書き

「エコノミーで11時間」

 

 
抗震紀念碑

 

さて、成都道の北東の端は南京路と交わって終わりますが、ここに比較的大きな広場があり、その中央には「抗震紀念碑」というピラミッド型の巨大なモニュメントがそびえています。地震の少ない天津ですが、過去に2回大規模な地震災害に見舞われています。1969年の渤海湾地震はマグニチュード7.4(この地震の2時間前に人民公園の動物たちが大騒ぎしたとかしないとか…)、それから1976年に河北省を広域に渡って襲った唐山地震はマグニチュード7.8だったそうです。唐山地震による死亡者は24万とも25万とも言われており、これは20世紀で最大数と言われています。この唐山地震を記念して立てられた「抗震紀念碑」。今となっては当時の悲惨な様子を残す面影は何一つなく、天津人が憩うのどかな広場となっています。こののどかで平和な時間がいつまでも続いてほしい、と思います。


広場の一角にある娯楽場

仁義なき世界


なんや、わいに用か?


親分が聞いとるんや、はよ答えんかい


で、なんぼ要りまんのや?


浦安で仕事がありますさかい足洗わせてもらいます


ぴかちゅぅ!

「でもマイレージたまらず...」

 

 
次回は「貴州路」を歩きたいと考えています
が、引越しでてんやわんやなのでとりあえず未定…。
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Illust & Text by KEYOU... http://keyou.at.infoseek.co.jp/

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