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文文の中国茶道体験記 『奉茶』(上海茶園小築) 中国茶道講座34 <2004年7月号>
中国から日本への茶の到来
■日本:喫茶の始まり 日本への茶の到来は805年、当時の中国唐に渡った僧侶によって茶が持ち帰られ滋賀の地に植えられたという説がある。喫茶の記録としては《日本後記》に平安初期である815年に嵯峨天皇が現在の大津市唐崎に行かれ梵釈寺にて大僧都が『手自ら茶を煎じ奉御す』とある。嵯峨天皇のころ唐物(からもの)と共に喫茶が普及したといわれている。しかし喫茶は、まだまだ一部特権階級だけのものであった。 ■日本:喫茶養生記 次に日本における茶の歴史は平安初期から400年たってもう一度画期を迎える。鎌倉初期、栄西が当時の中国南宋から1191年に茶種を持ち帰り九州の背振山に植えてからといわれている。また栄西は1212年日本初の茶書といわれる《喫茶養正記》を著した。「茶は末代養生の仙薬。人倫の妙術なり・・」に始まり栄西の哲学として宇宙を5部に分け、それと同様人体も肝・心・肺・脾・腎の5臓に分かれ、味も酸・苦・辛・甘・かんの5味に分けられる。茶は苦くそれは5臓の中心となる心臓の良薬になると喫茶の原理を著す。この書で紹介されているお茶はまさしく緑茶の製法で、茶葉を砕いて茶臼で挽き、その粉末を椀入れて湯を注ぎ茶せんで攪拌して飲むという、まさに日本の茶の湯の源流ともいえるのみ方である。 ■中国:固形茶から散茶へ 当時主流だった中国の固形茶は、唐代の餅茶から南宋時代の団茶へと発展していくが、1391年明の初代皇帝朱元璋はそれまで朝廷に進貢されていた手の込んだ龍団鳳餅茶などの高級な固形茶を作ることを慎むようにと禁止令を出した。高等技術を必要とし茶農民に重労働を課すのが理由である。その後朝廷に貢納するすべてのお茶は散茶を製造することになり以後中国茶は固形茶から散茶(葉茶で飲む)が主流となっているといわれている。 ■日本茶道と中国茶道 16世紀、日本では利休によって茶の湯が大制される。茶室は【にじり口】によって日常性としての外観と内部【虚構】の空間とを断ち切る結界として考え出されたのが1畳半ないし2畳といった日常生活には存在しない空間、非日常の虚構の空間である。日本茶道は「和敬静寂」が基本精神であるのに対し、中国茶道ではその基本精神をを林治先生著≪中国茶道≫にて「和・静・怡・真」と著され、庄晩芳先生においては中国茶徳を「廉・美・和・敬」と著されている。
◎文文取材後、奉茶生徒さんから頂いたメール プーアル茶をガラスの器で入れるなんてびっくりしましたが
リナ先生のお手前は本当にいつでもとっても素敵ですよね!
私もプーアル茶をガラスの器で入れたくなってしまいました。
中国茶道教室:奉茶(上海茶園小築)古北店 住所:上海市栄華西道19弄1号金龍公寓103号室 上海在住の日本人太太(奥さん)に品質の良い茶葉・センスの良い茶道具がそろうと定評のある李娜(リナ)さんが経営する雅な茶屋。併設の中国茶道教室はサロンのような雰囲気で授業が受けられる。講座は初級・中級・高級・研究班とあり大変人気がある。李さんが中国茶の世界を具現化した茶室で喫茶もできる。 |
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