続いては楊柳青年画館。こちらは楊柳青博物館の裏手の「安氏祠堂」という建物の中にあります。
そもそも年画とは春節(旧暦の新年)の時に家に飾るめでたい絵画のことで、“喜画”とも言われています。宋代に誕生し、以来、金・元・明各時代の手法を継承しながら清代に大成した年画は、この国を代表する伝統芸術の一つと言って差し支えないでしょう。中でも天津の楊柳青年画はとりわけ有名で、江蘇省の桃花塢、山東省のイ(さんずい偏に維)坊楊家埠、四川省の綿竹とともに、「中国四大年画」と謳われており、さらに天津の楊柳青年画と江蘇省の桃花塢年画は“南桃北柳”と賞賛されています。
楊柳青年画の歴史は明の崇禎年間に始まり、清の光緒帝の頃にはすでに芸術としての地位を確立していたと言われています。また、楊柳青年画の制作方法については、“半印半画”という独特の手法が用いられており、まず木版画で黒墨の下絵を刷り出し、さらに数回絵の具を使って重ね刷りし、それから筆を使って描いていきます。筆で色を塗る際も、2〜3回重ね塗りをしています。このようにたくさんの工程を経て完成される楊柳青年画は、仕上がりがとても繊細で、日本の浮世絵にも通ずるものがあります。実際に中国の某情報サイトには「中国の年画が日本の浮世絵に影響を与えた」とありました。真偽のほどは分かりませんので、興味のある方は調べてみてください。
また年画は、描かれるモチーフも豊富です。新年に飾る絵画なので、めでたいもの、吉祥なものという共通点はあるものの、閻魔大王のようなイカツイ表情の神様はじめ仙人、仙女、虎、亀、鶴…いろいろなものが描かれています。中でもとりわけよく使われているモチーフが子ども。それも普通の子どもではなくて、プクプクと太った大黒様みたいな子どもです。「千と千尋の神隠し」に坊(ぼう)という赤ちゃんが登場しますが、あれをもっと脳天気かつ腹黒くしたような感じです。
なぜそのような子どもを描くかというと、子どもは家庭円満の象徴であり、さらにそれがプクプクとしていることは裕福の象徴になるからです。そんな見るからに福々しい子どもが、真っ赤な魚を抱きかかえていたり、大きな牡丹の花に囲まれていたりしています。これについては前回トンパ大王が簡単に触れていたかと思いますが、改めてご説明しますと、中国語で“魚”は“余”と発音が同じことから余裕・裕福の象徴、また“牡丹”は別名“富貴花”とも呼ばれていることから富貴の象徴と考えられているのです。このように年画はめでたいことづくし、旅行のお土産や贈り物にぴったりです。ただ鬱の人には見せないほうがいいかもしれませんね…。