流氓

  • 2012/10/21更新
  • wayronさん
  • 7
  • 2012/10/16投稿
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 「流氓」とは何を意味するのでしょうか。

 簡単に言えば職業を持たない流浪民ということになるのでしょう。

 これだけならば私自身、職や業を持たずに上海に流れ着いて暮らしているのですから相当するのではと思っています。

 しかし、日本語でいう不良、やくざ、無頼漢に相当し、西洋でいうルンペンにも近い意味が有りますから、主観的には私にはそぐわないとも思っています。

 さらに中国の流氓はその勢力がとても強大で、政府とも関係を持っているといわれていますので、この点で私とは全くの無縁となります。

 伝統的農業国家である中国で流氓が生まれたのは、土地を失った農民が他の土地へと流浪したことによるとされています。

 それが都市では、やくざグループの結成となって表面化しました。

 労働も商売もせずに技術も身につけず、文化とは著しく隔たった彼らはグループを組織することによって、社会に脅威を及ぼす存在になりました。

 学者の主張によると、中国古代の歴代帝王や将相は、貴族出身でなければ流氓出身だとしています。

 漢の国の高祖劉邦がそうですし、明の太祖朱元璋がその中でも有名です。

 毛沢東は「高貴な者が最も愚鈍で、卑賤の者がもっとも聡明だ」と語りましたが、卑賤な者とはすなわち劉邦と朱元璋を指した言葉です。

 ある学者は、中国に法治社会が根付かない理由は「流氓文化」の礎が有るからだと指摘しています。

 暴力と情だけを重視した専制的雰囲気の中で、原理原則の法意識が希薄になることは当然の事でしょう。

 したがって流氓が繁栄する社会では、文明と知性と理性が蹂躙されるのは言うまでも有りません。

 現代中国は「斯文亡、流氓興」と表現されることが有ります。

 すなわち礼儀と文明、道徳が衰退して流氓が隆盛だとの意味です。

 昨今の上海事情を目の当たりにするにつけ、不承の思いが無くなるどころか真に以て的を射た表現だと思うようになりました。

 皆さんはどのようにお思いになられますか?

 
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  • 1
  • 2012/10/21 00:00投稿
  • vvvcupさん
韓国のガス弾は 日本の機動隊のガス弾の比ではなく得意技の唐辛子で超強烈と 某宮島カメラマンの手記に書いてあったので、ゴム弾も生死のぎりぎりの死なないだろう迄パワーアップされている可能性がある。日本の機動隊も全学連が元気だった頃は ガス弾直撃を狙っていた。
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  • 2
  • 2012/10/18 00:00投稿
  • macauさん
ゴム弾で死んだんだから、元々身体弱かったんじゃない??
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  • 3
  • 2012/10/18 00:00投稿
  • wayronさん
私思うんです。

 知性と理性が文化を構成し、その発展に対する願望が平和を創造するのだと。



 私思うんです。

 情感と怨念が暴力を構成し、知性や理性に対する破壊願望が戦争を創造するのだと。



 そして思い当たるんです。

 私が今暮らす中国は、五十年前に破壊願望が解き放たれただけでなく、闘争至上主義ともいうべき愚民政策が維持発展している国であるということに。
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  • 4
  • 2012/10/18 00:00投稿
  • nn19さん
作家の文の引用で恐縮ですが・・・。

***********************************************
中国史の根底にある「流民」   司馬遼太郎
(谷沢永一「司馬遼太郎エッセンス」より)

「中国の歴史は、四捨五入していえば流民(あるいは農民暴動)の歴史として見ることができる」

「もともと日本人と中国人の容貌のちがいなどはほとんど存在しないといっていいにもかかわらず、中国はわれわれの理解を絶したほどの異国である」

……「この国の農業条件は、気候の面からも水利の面からもじつに多様で、もし旱魃がおこれば雑草も生えないという状態が相当な広地域でおこる。その地域が地理的中国の六割ほどにも達すれば天下大乱ということになるであろう。

人民は生きるために村をすてて流浪するが、ときにははるかに移動し長征して他の村を襲撃する。流民群はまたたくまにふくれあがり、自分たちを食わせてくれる大将をもとめて動くのだが、このときいわゆる<英雄>というのが出現する。

中国史の英雄は日本の頼朝とか信長とか家康とかいった連中とは定義を変えて使わねばならぬほどに質を異にする。英雄には大小があるであろう。大小の基準はどれほどの数の流民を食わせることができるかということにかかっている。五万人の流民を食わせる能力の者は五万人だけの勢力を張るが、しかし流民が風を望んで殺到しついに十万人にまでなると、その英雄の能力が破綻する。英雄は夜逃げするか、あるいは百万人を養いうる大英雄のもとに流民ごと行ってその傘下に入れてもらわねばならない。その最終的に残るのが、たとえば漢楚のたたかいでいえば、項羽と劉邦というような存在であろう」

「対比すれば、要するに歴史時代の中国の為政者は、人民が餓えることをもっともおそれねばならず、それをおそれぬ政権はやがてほろびた」のであるが、一方「この点、日本はモンスーン地帯にあって水が豊富なために流民が十万、百万と彷徨するような現象が成立しにくく、歴史上のどの政権も人民の餓えということを自己の盛衰の問題として戦慄的に考えるということはなかった」

「要するに、流民が政治をゆるがすほどの量では出ないという日本の農業事情の相違によるわけで、それがために日本の歴史的権力は人民を怖れるという要素が薄く、逆にいえば人民の側においても政治というものが中国ほどには切実でなかったということがいえる。さらにいえば、そういうようにして歴史的に出来上がっている日本人の政治感覚では、中国の政治における食糧問題というものの困難といった切迫性としてとらえにくいのではないか。中国がわからない、という基本のなかに、そのことも入っているのではないかと思える」
***********************************************
以下のサイトのも面白い解説と思いました。
「皇帝専制と官僚制」 (”流民の発生による自治組織の壊滅”による専制政治)
http://homepage3.nifty.com/ryuota/emperor.html
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  • 5
  • 2012/10/18 00:00投稿
  • kensanさん
 王侯将相寧有種也(王侯将相寧んぞ種有らんや)。 
 秦を反乱で倒した無頼者陳勝の有名な名言です。

 誰だって、皇帝になれる。
 皇帝は、誰にでも取って代わられる。

 その意味で、中国共産党が永遠でないことは、中国共産党自身が知っている。
 歴史は、現在の矛盾を解消する方向に流れる。
 解消された矛盾が新しい矛盾を生む。
 その矛盾が新しい歴史を作る。 
 それは、母なる黄河が今の恵みをもたらした反面、大地を全て押し流して次の土壌を用意しているのに似ている。 
 「合久必分、分久必合」離合集散は中国の歴史そのものです。
 農民を結集して作った政権が恐れるのは、また農民です。
  
 汚職が、政権の虫垂部に蔓延している。
 汚職の結果が、政権の外に待避場所を求めている。
 これはかなり危険信号です。
 中国人が、中国共産党が永遠でないことを、本能的に嗅ぎ取っている証拠です。

 然しです。
 間違いなく言えることが一つある。
 中国共産党が、中国産共党になっても、そこには同じ中国人が居る。
  
 

 
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  • 6
  • 2012/10/18 00:00投稿
  • wayronさん

 中国人の方々は自らのことを「中国は太古から、尚武ではない尚文の民族として文治と徳治の国、文の社会」であると自画自賛することを好みます。

 でも、はたしてそうでしょうか。

 近代の啓蒙家梁啓超は中国人のことを「殺戮された民衆」という意味で「戮民」と定義しましたが、これは歴史上、常に戦争の被害を受けてきた中国の民衆を称した言葉です。

 毛沢東が数十年の戦争を通して体系化した思想が、かの有名な「銃から政権が生み出される」ではないでしょうか。

 毛沢東はまた「戦争と戦略問題」においてこのように力説しています。

 「我々は戦争消滅論者であり、戦争に反対する。しかし戦争を消滅するためには、戦争をするしかなく、銃を持たざるを得ない」

 さらには、文化大革命の渦中でアルバニアの軍事訪問団と会談した際には、彼は中国人気質に自身の闘争哲学をあわせてこのように披瀝しています。

 「中国人は平和を愛する民族だと人々は言うけれど、それは嘘です。実際には戦争を好みます。私もやはりそのような人間です。」

 稀代の読書家で教養人であった毛沢東は、文化大革命によって排斥、破壊、攻撃、闘争の限りをつくしましたが、唯一排斥されなかった文化人として魯迅が有名です。

 その魯迅はこう語っています。

 「我々中国人は常に自身を平和を愛していると好んでいうが、実際には闘争を好んでいる。他人が闘争するのを好むばかりでなく、自身も闘争することを好むのだ」

 私は同じ農耕民族でありながら、民族としての生きざまに決定的な差異が有るのは、広大な領土故に育まれた流氓思想が無縁ではないと思っています。
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  • 7
  • 2012/10/17 00:00投稿
  • nn19さん
今晩は。
時々上海に滞在して「よろず」を拝見しています。

今日のニュースで、中国人の船員が韓国の警備隊員に鉄棒らしきもので殴りかかろうとしている写真を見ました。日本人の漁民ではありえないですよね。

先日の暴動もしかり。

また、一国の外相が世界の人の前で「盗んだ」と言うのも耳を疑いますね。(せめて「うっかり持って行った」くらいの表現で・・・?)

結局、一番分かりやすい解釈は、「(昔から)上もそうだから下もそうなる」ということではないでしょうか。全部の人ではないでしょうが。

でも、生き延びるためにはそうせざるをえない厳しい環境にあったのだとは思います。四方から敵は侵入するし、冬は凍るし・・・。劉邦も、逃げる途中に自分の子供を馬車から突き落としたとか。

子供といえば、イタリアでの戦争で、子供を人質に取られて降伏を迫られた敵将(母親)が、「子供ならいくらでもここから生めるわ!」とその場所を敵に見せびらかして拒否した話もあります。現在の日本人があまりに優しすぎるのかもしれません。(昔の日本では、飢饉のときに隣の家と子供を交換して食べた記録があるそうですが。)

昔といえば、7世紀の隋書倭国伝に日本人について、「人は温厚な性格でとても物静かで、訴訟はまれだし、盗賊は少ない。」 と書いてあるそうです。日本には元寇以外には大きな侵略は無かったですし。

結局、環境が変われば人も変わるというところでしょうか。まあ現実がそうであれば、冷静にそれなりの対応をするしかないと思いますが、いかがでしょうか。
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