罵街

  • 2012/09/30更新
  • wayronさん
  • 4
  • 2012/09/27投稿
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 中国では昔からの伝統として「罵街」という、女房たちの特権?があります。

 家内で夫婦喧嘩があり、腹を立てた女房がどうにも我慢ができないとき、家外に飛び出しては悪口を並べ立て、行き来する通行人に訴えます。

 ありとあらゆるボキャブラリーと口汚く罵る多様な悪口を総動員して、旦那が妥協して思い通りになるまで、何時間であろうともまるで念仏を浪花節のようにして唸り、切々として訴えます。

 今でも農村や中小都市に行けば、このような「罵街」の光景をしばしばにして見物することができるそうです。

 いつしからは次第に女性たちはこれを、男性との喧嘩に勝つためや何かの願望を達成するための武力として利用しているそうです。

 たとえば、男性に何かの頼み事をする際、「万が一でもちゃんとやってくれなかったら、必ずあんたの家や仕事場の前で何日でも、朝から晩まで罵街をしてやるから覚悟しなさいよ!」と脅迫するのです。

 日本を含みアメリカを除いた全ての国々に対する外交や、交渉手腕を見せられるにつけ、中国数千年の伝統を、「厚黒学」として国際社会を生き抜くための知恵とした現代中国に、ある意味での端倪の念を持つのは私だけなのでしょうか?

 何れにしても、直接の当事者となりうる在留日本人として、人命を含んだ破壊行為が伴う罵街だけは許される事ではないと強く思っています。
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  • 1
  • 2012/09/30 00:00投稿
  • wayronさん

私なりの罵街です。

 私は日本に在住している頃、「礼儀之邦」を自称してきた中国に文献等を通してしか接していませんでしたので、その絢爛偉大で聖なるイメージを持ち敬虔な心情で憧れてやみませんでした。

 しかし上海で、同化に努めて暮らしてみると中国人自体の非衛生的で薄汚く粗雑な様相にひどく驚かされる事になりました。

 そしてこの思いは、失望と同時に軽蔑へと転化してしまったようにも思っています。

 憧れていただけに度を越してしまったのではないかとの忸怩たる思いも有ります。

 バスに誰よりも先に乗ろうとして、むやみやたらと押し合いへし合い大声を張り上げる修羅場、唾や痰をところかまわず平気で吐き散らす傍若無人ぶり・・・・・。

 私が持っていた「中国文明」のイメージと現実では、埋めることができないほどのギャップがありました。

 中国は古来、人間の徳行と修身、礼儀をとりわけ重視する文化伝統を誇っていたはずです。

 中国の古典文献である「周礼」に「徳をいち早く行為の基本としなければならない」という一節があります。

 「周礼」の解釈者として有名な後漢末の鄭玄は、この一節を「徳行は心身の内外の名称であり、心の中に有れば徳となり、実践すれば行となる」としています。

 しかし現代中国の現実は、無礼・無秩序・無公衆道徳の修羅場そのもののように思うのは私だけでしょうか?

 「ウィサマ、ウィサマ、どうしてなのでしょうか?」
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  • 2
  • 2012/09/29 00:00投稿
  • wayronさん

 日本の「明治維新」と中国の「戊戌の変法」とは、時代的にもわずか三十年あまりしか違いませんし、その歴史的背景や原動力は極めて類似しています。

 どちらも西洋列強による侵略的門戸開放ですし、日本がアメリカの軍艦によるものであれば、中国はイギリスとのアヘン戦争によるものです。

 両国とも民族存亡の危機に陥っています。

 したがって、両国が掲げたスローガンも極めて類似しています。

 日本が「和魂洋才」であれば、中国は「中学為体、西学為用」であり、どちらも自国を精神の核として、西洋文明を手段と見なしています。

 しかし結果的には、両国には顕著な差異が現れました。

 日本人は国民全体が、西洋文明を学び身に着ける事に努めました。

 そもそも日本は、明治維新のはるか以前にも、先進文明国であった中華の文明を真摯に学び身に着けた歴史を持っています。

 これに対し中国では「祖先の宗法を改変させることはできない」という叫び声とともに、各分野で保守勢力が立ち上がりました。

 そもそも戊戌の変法自体が、西洋の政治体系を取り入れようとしたものの、孔子の旗印を掲げてのものにすぎませんでした。

 「醜い中国人」を書いた台湾の作家柏楊は、「中華思想」の実体を閉鎖と保守での点綴としていますし、中国人の守旧観念には二種類あり、一つは昔の中国にはあるべきものはすべてあったということであり、もう一つは昔のものはすべて素晴らしいという事だと指摘しています。

 林語堂にいたっては、中国人の守旧症とか死体未練症とも言われている保守性は、自覚的な信仰というよりは民族的本能としているぐらいですから、良し悪しは別にしても、民意と民度の違いが有る事だけは間違いのない事だと思います。

 日本人の中には、我が民族は保守的であると言われる方も多いと思いますが、人類文化の時間的価値志向を整理した中国人には、独特な開拓変化的未来志向を持つ民族とされているようです。

 ojinさんの問いかけの参考となれば幸いです。
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  • 3
  • 2012/09/29 00:00投稿
  • oJINさん


なるほど。 高尚な分析に感謝します。

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  • 4
  • 2012/09/28 00:00投稿
  • oJINさん
なるほど!

150年前に、先進国との差に愕然として、追いつき、追い越そうとした日本と、こんなにも情報の氾濫する現代でも今なお時刻が一番と頑なに思い込んでいる国の違いはどこから来るのでしょうね!

品格のない国は、そのお隣にもありますが・・・。

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